ラファエロ・アンソン
Rafael Anson
アンソン氏は法律の博士号他、心理学、ジャーナリズムの学位を有する。1976年から1978年の最初のアドルフォ・スアレス政権の時、スペイン公共テレビとラジオの総支配人を務めると共に、1979年から1981年までスアレス首相のアドバイザーを務める。
またアンソン氏はアカデミー・オブ・サイエンス・アンド・アート・スパニッシュ・テレビジョンの創立者である。
PRの分野では総理大臣官邸のパブリックリレーション(PR)のヘッド、指導者であり、1977年から1979年のデモクラティック・センター・ユニオン(保守や革新的な党派を統合させた政党)の選挙キャンペーン取締役を任される。同氏はスペインの大企業や影響を有する多くの団体のコミュニケーションアドバイザーを務める。
またユリアン・マリウスが創したGeneral Secretary of the Foundation of Sociological Studies (FUNDES)の設立者で、 the Spanish Nutrition Foundation (FEN)の設立者でもある。
スペイン王立ガストロノミー学会の代表でもあり、1991年から1995年まで国際ガストロノミー学会の代表を務め、現在は名誉会長を務めている。
またファン・アントニオ・サマランチ国際オリンピック委員会(IOC)会長の任期中、20年に渡りコンサルタントを務め、スペインオリンピック委員会ともコラボレートしている。
様々な角度からの活躍から国家名誉賞、大十字勲章、観光ゴールドメダル勲章等、多くの賞を受賞。
ジェイン・ヘイン
June Haynes
ヘイン女史はFITを卒業後NYマディソンアベニューのバーニーズニューヨークのデザイナーズフロアを管理し、そこでドルチェ&ガッバーナのドミニコドルチェとステファノガッバーナのお忍び訪問中に見初められすぐにアメリカで最初のドルチェ&ガッバーナのブティックのオープニングを任される。のちに北アメリカの取締役に昇格した8年間後、ドルチェ&ガッバーナのリテール拡大の具体的戦略を会長と努めニューヨークとミラノを行き来する。
2003年にバレンチノの副社長に抜擢され、全てのバレンチノブティックの投資利益率及び直接的日常業務、戦略的計画、売り上げ成長の管理を担当する。2007年に日本に新しくオープンしたブティックのオープニングと日本に於ける全バレンチノ小売戦略の向上も任される。
またバレンチノでの幹部リーダーとしての頭角はクライアントのパーソナルスタイルにもインパクトを与え、ジャックリーヌ・ケネディ・オナシスは初期からのクラインとであり、彼女の最後までスタイルを支え続けた。
またマドンナ、メアリーJブライジ、ジェニファー・ロペス、スティーブン・スピルバーグ、デンゼル・ワシントンを含め多くのクライアントを持つ。
彼女のスタイルは彼女をファッションの権威者にしニューヨークタイムズやオプラ・ウィンフリーのOマガジン、ハーパーズ・バザー、マリークレール等数多く掲載されている。
またラッセル・シモンズ、アーメット・アーティガン、ロレイン・ブラッコと共にゴッサムアワードの栄誉を受ける。FITでのパネリストやWGSNグローバルファッションアワードのプレゼンター(2010、2011)等、アメリカ、メキシコ、ブラジル等で多くの講演を引き受け、数多くの慈善事業にも従事する。
25年のラグジュアリーリーテイルの専門家として小売り戦略、消費者サービス、顧客管理等の国際的コンサルタントである。またヘイン女子は2014年10月ホワイトハウスで行われたミッシェルオバマ大統領夫人による初めてのファッション教育研修会の講師も務めた。
サキコ・ヤマダ
Sakiko Yamada
聖心女子大学卒。総合商社を退社後2000年に渡米。
ロサンゼルスをベースとする映画プロダクション会社スプレンデントメディアを含むスプレンデントグループの創始者である。
2010年設立直後、アル・パチーノ主演・監督映画『ワイルドサロメ』を手懸ける。エグゼクティブ・プロデューサーとして製作に参加した当作品は、アカデミー賞受賞俳優アル・パチーノ、アカデミー賞ノミニー女優ジェシカ・チャスティン、アカデミー賞受賞俳優エステル・パーソンズら出演のもと2011年ベニス国際映画祭 Jaeger LeCoultre Glory to the Filmmaker Awardを受賞。現在、アメリカにて複数の映画を企画中である。
映画製作会社設立以前より不動産投資会社を経営し、現在もCEOとして活動中。また慈善活動に長く取り組み非政府系の非営利団体では最大のミールズオンウィールズの最年少ボードメンバーを務めた他、サー・リチャード・ブランソン(Sir.Richard Branson)とイブ・ブランソン主催のVIRGIN UNITEの立ち上げからプロトコールコンサルタントやチャリティーのチェアを務める。南カリフォルニア日米協会のボードメンバーも務めた。また慈善活動としては俳優ショーン・ペンとハイチに赴きハイチ大統領と地震後復興について協議する。
国際ガストロノミー学会においては、アメリカ西海岸支部のボード、内閣官房「クールジャパン官民連携プラットフォーム」構成メンバーに拝命された一般社団法人日本ガストロノミー学会代表として、国際連合(FAO)と連携し食の安全や情報交換を促進。日本外国特派員協会メンバーでもありその活動域は幅広く、2010年、ヴーヴ・クリコ(LVMHルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシ-グループ)の“WOMAN OF INFLUENCE”に選出される。プロトコールオフィサーの資格も有する。ミス・インターナショナルのオフィシャルアドバイザーも務め、世界各国への日本発信プロジェクトを行った。キャロライン・ケネディ駐米大使がオープニングで世界で働く女性についてスピーチされた「インクルージョン・パワー」にてグローバル・リーディング・ウーマンとしてパネリストを務める。
英国Chartered Institute of Public Relations正式登録メンバーでもあり現在、ロサンゼルス、東京、シンガポール、ロンドン在住。
ニコラス・ルッフェーブル
Nicolas Lefeuvre
Nicolas Lefeuvreは、香港シャネル(CHANEL) デザインスタジオのヘッドであり、中国、香港、マカオ全てを取り仕切っている。フランス、シンガポール、日本、中国、香港を仕事で渡り歩いた人生は、美と文化への目を発達させた。
純粋でミニマルなスタイルで彼の美を完成させていく。パリのCamondo design schoolを優秀賞とともに卒業し、 パリのゲラン(Guerlain)本部のスタイル再構築をし、その後アジア各国を周り、シンガポ−ルについた時 コンセプトストア/デザインエージェンシーD’apres Nousをひらき、ホテル、ブティック、ギャラリ−等の再構築、ナイトクラブや車のブランディングをし、クリエイティブディレクターを務めた。
その後、シャネルのシンガポールでの初めてのアートディレクションをセットアップする役を大抜擢され、4年後には日本のシャネル社長に呼ばれ東京で同じくアートディレクターとして活躍。5年間、制服のデザイン、ブティックでのGBM(音楽)、印刷物のグラフィックデザイン、ブティックの建築的再構築、ポップアップストアのコンセプト等を引率し、現在香港シャネルのアートディレクターとして活躍中。